行き当たりばったりなブログ

大阪→京都→東京→京都 日々のメモ

何を食べて生きるのか 

国際有機農業映画祭から取り寄せて、「食の選択」という映画を観た。

 


【予告編】食の選択

 

元々のタイトルは「fresh」。アメリカの大きなスーパーで売られていたラップぐるぐる巻きの野菜たちは、生鮮食品ではなくもはや工業製品であるということだろうか。アメリカ人がこれを観て「fresh」がしっくり来るのであれば、やっぱりアメリカと日本は食に対しての危機感の持ち方が少し違うよな、と思う。アメリカは日本以上になにもかもが大規模だ。邦題の「食の選択」は汎用的だけど日本人的にはとてもしっくりくるタイトルだと思った。

私たちは何を食べる生き物なのか

映画の中で牛が牛由来の飼料を食べて狂牛病になったエピソードがあった。本来であれば牛は草を食べる動物であって、肉(ここでは共食い)は食べない。畜産業が大規模化されたことによって、いつの間にか動物たちは本来食べていたものとは異なるものを食べるようになっていた。その弊害として病気が蔓延した。自然のバランスが崩れてしまっている。

 

そんなことを考えていてふと思う。
私たちは何を食べる動物なのだろう。

日本ではもう、生きることと食べることが直結していない気がする。食べないと生きていけないけど、生きるために食べている人は少ないと思う。
SNSを眺めていると、もはや肉や魚を食べることは娯楽にも近い感覚になっているのではないかと感じる。ああ飽食の時代。私は何を食べようか。食べなければならないものは何か。

 

食べるについて迷ったときは「もの食う人びと」がヒントになる気がする。欲望に近い食、生きるための食。もう1回読み直してみようと思うけど、なんとなく気が重い。

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)